圧倒的に弱い
人間臭いというか、情とか愛に溢れている人間になりたいと思っているよ。
愛とかの形はそれぞれだけど、最終的にその人が成長できるようなはからいをしてあげることこそが本当の愛情だとオレは思っていて、それを考えてない以上、ただの偽善なんじゃないかなあ。
主語を自分にしないで、他人にするだけで随分変わると思うんだけど、末っ子甘々気質バリバリのオレは全然それができなくて、だからいつまでも甘えてる赤ちゃんライオンなんだろう。
おかんとか見ててもすごいもんなあ、兄貴もだし。
おとんはちょっと違う気はするけど、それは不器用なだけだったり、いま余裕がないだけでそんなことないはず。
先輩からは比較的好かれて、後輩から好かれない原因はこれなんだろうなあ。甘やかされて育ったし、周りに恵まれてここまで来たんだから、それを下の子にもしてあげたらいいはずなんだよなぁ。
別にこんなん書きたかったわけじゃないのに書いてしまったので残しておこう。
筋肥大を目的としたトレーニングを2か月行いました
12月から復帰したので(正確には11月27日)、約2か月トレーニングを積みましたがなかなかに体は応えてくれていて、うれしい。
ありがとうマイボディ。
2月からは第2ステージとして肉を落とそう。キレッキレにせねば。
最近もまぁまた怒られたりなんだりされているけども、慣れてきたのかな?
なんだか心に余裕が生まれてきている気がする。
「ボスが言ってることは正しいんだ~」って昔から何の疑問もなく思うタイプの人間で、先生にも質問とかしなかった方だったんだけど、それが良くなかったなぁと最近思っているよ。
基本的に考えることから逃げて、感覚的に生きてきたけどやはりそれには限界があるわけで、いわば今まで貯めてきた貯金みたいなものが尽きてもうごまかせなくなってしまった。
フィーリングと直感でなんとかここまでやってこれたけど、もっとこう、頭良くなきゃだめだなぁ。
それができる人が周りにチラホラ居て、すげぇなぁと思ってみている。
論理的に組み上げたりとか、そういうのができる人は今までもそうしてたんだなあと思うし、できないならば習得しないとその人たちには永遠に叶わないと思うので、学生のうちになんとかしたいと思っているよ。
あとは愛について考えているぐらい…いやほんとに。
ペットへの愛の類ではなく親の子に対する愛、みたいなものについて。
こればっかりは自分が受けた愛の形が自分にとってのスタンダードだと思うから人それぞれだろうけど、全ての根底はここにあるのだなぁと思っているよ。
ストイックになれるかなれないかの差はそこが一番の原因ともいえるのではないか~ってとこまでは自分の中で来てるけどイマイチピンと来てないので書かない。
さぁ朝になったらメディシンボールを投げるよ。おやすみ。
失うものはないとか言うけれど、実際に大事なものを失いそうになった時に思うこと
彼女とか、友達とかそういうものではなく、すごく物質的なものを失うのはやはり心に来ると思うのよ。
それが深い思い出に組み込まれていたり、大事なひとの生活に絡んでいるのなら尚更そう。
人の命さえも奪ってしまうのではないか。
まだピーンと糸が張ってるけど、その緊張が切れた時にポックリと逝ってしまうのではないかと心配しているよ。
そんなんなったら悲しすぎるし可哀想すぎるし、人生はすごく残酷なんだって初めて実感するんだと思う。
人生とは…
年末である
クリスマスが終わり、今年最後の練習もおしまい。
慌ただしかったものがだんだんと落ち着いてきたよ。
練馬へ帰る電車の途中、前は帰り道だったのにいまはそれじゃなくなっていることがすごく寂しくて、やっぱり自分はネリマーなのだなと。
地元愛というか、地元への愛着が強いあまりにそれを誇張して伝えてしまうくらいなんだけど、たまに帰る練馬はだんだんと姿を変えていて知らない街になってる感もある。
思えば、親父は生まれてこの方ネリマーなはず(小中もオレと同じ)なんだけど、同じような思いを持ってるのかなあ。
20年生きてきたけど、父親から自分の話を聞いたことってないしそんな話ができるようなピースフルな雰囲気が最近はない。
お金があるとかないとか、会社がどうとか、やっぱり身内でやると家族そのものが壊れてしまう。
上手くやってれば問題ないのだろうけど、お金とか権力とかが家族を壊してしまう一部始終を見ているとホントにドラマみたいだよ。
どっちが勝ってもハッピーエンドにならなそうなドラマを毎日見てるのは心がおかしくなりそう。
自分がオトナになるタイミングで、大人の男の散り際を見させられている。これも教育なのかよ。
と思うとしんどいけど、内堀家の一員として首を突っ込んでこようと思っているよ。
さあ副都心線に乗ろう。
20年
今の自分は20年間の積み重ねの結晶であって、こうして同じ大学に通っている同年代の仲間であっても中身は全然違うんだって実感しているよ。
幼い頃に食事のマナーを躾けられたこどももいれば、大人になる途中でそれを身につけていった人もいるわけで。
最近思うのは、そういうスキルの積み重ねが人を作っているのであって、それを無しに年齢を重ねてきてしまった感をビンビンに出している人を見るとウッてなるよ。
積み重ねている量が一緒でも、中身が違う人もいて、それが違いすぎると深く付き合っていくに従って辛くなってくる、まさにそんな2013年であった。
絶対に真似してはいけないタイプの大人に今のうちに出会えたということ、心からそれを実感した経験が来年以降生きるようにせねばただのアホになってしまう。
まだまだ自分は無力だなあなんて言ってみるけど、そうやって自分を慰めるのはいい加減良くないと気付いたので、キビキビとやろうと思うよ。
メリークリスマスでした。
チェン大
遂にチェンマイ大学に出願したよ。
来週の土曜日に面接、受かるかな。受かったら来年の9月から半期いなくなります。
アツヒロくんと同じ感じか。
大学に入る前からずーっと、タイの大学に留学しようって思ってたから、夢を掴みかけている。
(あ、向かいのお姉さんパンツ見えた。エメグリだ!)
チェンマイ大学はタイで一番の地方国立大学で、オレがタイ人だったとしたら入れなかったであろう大学なので、受かったら本当に嬉しい。
ただ、気がかりなのはコーチ業の方で、受かる受からない関係なく来年の夏で辞めることが決まってるんだ。
期間が来たから辞める、とか
今日はもう時間だから辞める、とか
今まで普通のこととして生きてきたんだけど、最近それが間違ってるというか、なんとも中途半端なヤツだなあと思い始めた。
期間が来たから辞めたとして、それの主語はオレ。
残った子たちがどうなるかとか、上司の環境がどうなるかとかそこを考えずしてやってきてしまった。
自分のために生きる、自分らしく生きることは傍から見たら格好いいけど、何か大きな勘違いをしていた気がする。
最終的に自分のためになったりとか、自分の好きなことをして生きているように見えるだけであって、具体的なその中身は人のためにやってる部分が多いのでは。
たぶん、それが我儘と好きなことをして生きるということの違いだと思っているよ。
〜したい!〜になりたい!
とか言ったりするのは簡単だけど、もっと具体的な手段を言うのは難しいし、ダメだったときは挫折感もあるけど、それを言うようにしたら三日坊主のオレでもちょっとずつ続いてる。調子良い。
割としんどい日々を送ってるけど、そこまで嫌じゃないのはこんな小さな成長の積み重ねなのでは。
ネリマーの民
ネリマー達と飲み会というか、プチ同窓会みたいなものをしてきたよ。
自分のいた界隈は、いわゆるイケイケグループという感じ。ヤンチャしてる野球部たち、ちょっとお洒落なサッカー部、それに加わるイケイケ女子バレー部。
もっとも、陸上部は陰と陽のボーダーにいたのでオレもふよふよと行ったり来たりしてた。
久々にあったーネリマー達、みんな帰属意識が高すぎてヒヤヒヤした。
違う世界の人たちをすごく攻撃するし、自分たちの世界がまるでワールドスタンダードかのように振る舞う姿にはびっくりするし、みんなすげぇLINEのアプリやってんの。これが一番びっくりしたしついていけんかった。
パズドラはもう古いらしい。
あとはギャンブルが盛ん。
でもやっぱり自分もネリマーだし、あんまり大差はないなあと思いつつも、今いる世界でコレは出せないなぁと思った。
ケンカにはならんだろうけど、マッチしない感じ。
でもたまにはネリマー全開も良い。成人式楽しみだ。
でもって、
全くの偶然で人生で初めてお付き合いした人と再会した。
ルーツだ。間違いなく。
いやらしかったなあ。
出産したマブダチはしっかりとしたママになってた。
女ってすごい。マジで。